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【あの時】3.11 東日本大震災 

6年前の2011平成23年)3月11日 午後2時46分。誰もの忘れない大地震がありました。

 

私の出身地でもある宮城県。当時私は、たまたま2月に東京へ引っ越していました。

 

目次

 2011年1月

当時、仙台港付近某アウトレットモールのアパレル店員として働いてた僕は

そのお店に働いてまだ3ヶ月も経たないヒヨッコでした。

品出し、掃除、雑用全般全てやっており、服屋らしいことは何一つ任せて貰えてくれませんでした。

 

ただこれは「憧れのアパレル店員だしこういう仕事も大事だ!」と思い我慢が出来ていました。

 

何が不満だったかというと、このお店の店長でした。

基本メンズは店長含め、上司、僕の3人でお店を回しておりました。(レディースにも2名女性いました)

 

基本店長は、人の時の会話はお店の人の悪口でした。僕はそれが耐えれませんでした。

 

「あいつ、マジで頭悪いぞ」

「あいつ、服のセンスやばくね」

 

自分の部下に対して、悪口しか言えない店長と一緒に働きたくないと思うようになり

辞めるときに、「平然と部下の悪口しか言わない店長を尊敬できないし、働きたくありません」といい、きっぱりと辞めちゃいました。

 

憧れのアパレル店員だったのになぁ~。とガッカリして、次の職を探しました。

 

3.11 東日本大震災

2月から友人の紹介で東京にある、とある会社に就職しました。

ここの会社は色々問題があるブラックな会社ですが、ここで話すと長くなりますので

気になる方がいましたら別に書きたいと思います(笑)

 

2011年3月11日

 

この日の仕事で僕は首を痛めた為、仕事が終わり東京の自宅で横になっていました。

 

むち打ちのような痛みで、顔を1mmも動かせないっ!ってぐらい本当に痛く

寝る為に横になるにも10分かけ横にならなくてはいけない状態でした。

 

午後2時46分

横になっていた僕は、少しずつ大きくなる揺れに気が付きました。

 

そう思っているうちに揺れは次第と大きくなり、目の前の天井にある電灯が

大きく左右に揺れてました。

 

動きたくても、首の激痛で動けない僕は直感で

「あ、死ぬかも」と、思いました。

僕は布団の上で頭だけを隠し耐えてました。

 

大きい揺れは家の中の物を倒して次第に収まってきました。

 

余震が続く中、実家がある宮城県の両親に連絡を取りましたが、連絡取れなかったため、メールを送りました。

 

気づいたら僕は寝ていて、夜に目が覚めました。

 

TVをつけた瞬間に衝撃が走りました。

TVを見るまで、地震があれだけすさましいものだと思いませんでした。

 

特に衝撃でしたのが、津波でした。

本当に言葉に表せない衝撃が走りました。

 

テレビを見ると仙台湾近辺も映っており、僕が1月まで働いていたショッピングモールも津波に襲われていました。

 

見た瞬間言葉を失いました。

 

(まだ働いてたらどうなってたんだろう)

と、恐怖がよぎりました。

 

不安になり、再度宮城県の両親へ連絡するが一向に連絡が取れず、不安が最高潮でした。

 

一週間後

一週間が経ち、Youtubeをみるとテレビでは放送しきれてないような映像が沢山あがっていました。

 

その中には、僕の通勤路だった道が映ってる映像もあり、

その映像には、家の上に車が乗っていたり、道路に船があったりでショックでした。

 

アパレル店員を辞めてて良かった。

あのまま辞めてなかったらどうなってたんだろう。と今でも思います

 

 

最後に

その後の情報で、地元の友人が数名亡くなった情報が入ったり、

実家が基礎から傾き、室内は亀裂が入ったり、塀も全部倒れたり被害があったようですが、助成金が1円も入ってこなかったそうです。

自宅が3度傾いてたようですが、認定があるには5度傾いてないといけないようでした。

食事も満足にできない、電気がない、ガスもない。

ただ、実家はまだ人が住める状態であったため、全然良い方でした。

 

 

その中で各地では、東日本大震災への募金活動をしていて

新宿で歩いてる時に、中国の方も募金活動していました。

 

僕にしつこく「募金してください」って言ってきたので、いつ頭にきて

「この募金がどういう流れでどう使われてるのか知ってる?」と聞くと

無言。

 

おいおい、無言かよと思いつつ、更に僕は

 

「色んな人が各地で募金活動してるけど、僕の実家宮城県で、少なからず被害うけていますが、こういった募金一円も入ってきてないんですよ。こうゆう状況どう思います?」

 

こういうと、また無言。

 

溜息つくと「ごめんなさい」と一言だけ言いいなくなりました。

 

なんだかなー、と思いました。

 

家を失った方、亡くなった方も沢山いる中で、普通に生きているってだけで

良い事なのに、訳わかんない募金活動や、現地では一人暮らしの女性を狙った

性犯罪があったりで、本当に助けを必要としているところがあるのに

行き届いてないと感じていました。

 

 

書きたいことがまだまだありましたが、話が終わらないので要所要所で話しを端折りました。

 

 

震災の事は風化させてはいけない。

今できることを精一杯やっていこうと思います。

 

 

消化不良ですが、おわりっ!

 

 

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